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佐々木秀義 : ウィキペディア日本語版
佐々木秀義[ささき ひでよし]

佐々木 秀義(ささき ひでよし)は、平安時代末期の武将源頼朝の挙兵を助けた佐々木四兄弟の父。
== 生涯 ==
近江国蒲生郡佐々木荘を領し、秀義の母方の伯母は藤原基衡に嫁ぎ、自身は源為義の娘を妻としており、この頃の佐々木氏が有力武士であった事を伺わせる。
保元元年(1156年)に崇徳上皇後白河天皇が争った保元の乱で、秀義は天皇方の源義朝に属して勝利した。
平治元年(1159年)の平治の乱でも義朝に属し、義朝の長男である義平に従い戦うが、義朝方は敗れ、伯母の夫である秀衡を頼って奥州へと落ち延びる途中、相模国渋谷重国に引き止められ、その庇護を受け娘を娶り五男の義清をもうけ、20年を渋谷荘に送った。
治承4年(1180年)に源頼朝伊豆国平氏打倒の兵を挙げる際、平家の家人大庭景親から頼朝討伐の密事を聞き、子の定綱を使いに出して頼朝に危急を知らせる。定綱、経高、盛綱、高綱を頼朝挙兵に従わせ、その功により本領を安堵され、佐々木荘へと戻る。
元暦元年(1184年)7月の三日平氏の乱において、五男義清と共に反乱鎮圧に赴き、平家継平信兼らの率いる伊賀伊勢の平家方残党と甲賀郡上野村で戦い90余人を討った後、戦死した。享年73。死後、その功により近江権守を贈られる。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐々木秀義」の詳細全文を読む



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