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佐々木経高 : ウィキペディア日本語版
佐々木経高[ささき つねたか]

佐々木 経高(ささき つねたか)は平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。
近江宇多源氏佐々木氏棟梁である佐々木秀義の次男として生まれる。源頼朝伊豆での挙兵から仕え、鎌倉幕府で三カ国の守護を兼ね、頼朝の死後は承久の乱で官軍に属し、敗北の末に自害した。
== 生涯 ==

=== 源平の戦い ===
近江の佐々木庄を地盤とする宇多源氏佐々木氏の棟梁である佐々木秀義の次男として生まれ、平治元年(1159年)の平治の乱で父が従った源義朝の敗北により、一門と共に関東へと落ち延び、伊豆に流された義朝三男である源頼朝に仕える。
治承4年(1180年)、伊豆で以仁王の令旨を受け平氏打倒を決意した頼朝に従い、8月17日、平兼隆の後見で勇士とされた堤信遠を討つべくその邸宅へと赴き、頼朝と平氏との戦いにおける最初の一矢を放った後、太刀を抜き戦い、兄の定綱と共に信遠を討つ。20日、頼朝に従い相模国へと赴くも石橋山の戦いで敗れる。安房へ逃れ再び兵を集めた頼朝は10月20日の富士川の戦いで平氏を破り、23日に行われた挙兵後初の論功行賞で、経高ら兄弟は旧領の佐々木庄を安堵される。
頼朝を大将とする軍は、その後多くの戦いを経て文治元年(1185年)に壇ノ浦の戦いで平氏一門を滅ぼし、鎌倉に本拠を構えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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