翻訳と辞書 |
佐々木藤太郎[ささき とうたろう] 佐々木 藤太郎(ささき とうたろう、1867年5月25日(慶応3年4月22日)〔「東京府収税属佐々木藤太郎内閣ニ転任ノ件」〕 - 1948年(昭和23年)5月16日〔『朝日新聞』(東京本社発行)1948年5月19日朝刊、2面の訃報より。〕)は、日本の官僚、実業家。第2代朝鮮慶尚南道長官。 == 概要 == 長門国厚狭郡のちの厚西村(現山口県山陽小野田市)で、佐々木磯右衛門の二男として生れる〔〔『人事興信録』第6版、さ30頁。〕。1889年5月、山口県収税属に任用。その後、東京府収税属に転じた〔。 1894年3月、内閣属に転じ内閣恩給局に勤務。同年7月、明治法律学校(現・明治大学)を卒業。1896年12月、第3回文官高等試験行政科試験に合格し、1897年6月、大蔵省試補に任用され収税局に配属される〔「佐々木藤太郎大蔵省試補ニ採用ノ件」〕。その後、松山税務監督局長、仙台税務監督局長などを歴任〔。 1908年4月、大韓帝国の招聘受けて渡韓、同年7月、統監府書記官に就任。朝鮮総督府設立後に臨時土地調査局書記官、度支部書記官などを歴任〔〔「朝鮮総督府慶尚南道知事佐々木藤太郎賞与ノ件」〕。1913年、第2代朝鮮慶尚南道長官(1919年8月より慶尚南道知事)に就任し、8年以上に渡り務めた(1913年2月14日 - 1921年12月26日)。 1921年に退官し、以後、大洋漁業重役、東亜勧業代表、林兼商店取締役などを務める。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐々木藤太郎」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|