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佐々田 懋(ささだ すすむ / すすみ、安政2年(1855年)11月 - 昭和15年(1940年)3月27日)は日本の実業家、政治家。島根県多額納税者〔猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)サ一八頁〕。佐々田(名)社長〔。衆議院議員、貴族院議員。 孫・百合子は元中国電力会長櫻内乾雄の妻。 == 経歴 == 石見国那賀郡木田村(現・島根県浜田市)の豪農佐々田家に生まれる。 和漢学を修めた。 浜田県会議員、浜田県十五等出仕、那賀郡会議員、島根県会議員・同議長を務めた。明治23年(1890年)7月、第1回衆議院議員総選挙に島根県第5区から出馬し衆議院議員に初当選。以来、3期連続して務める。1911年9月29日、貴族院多額納税者議員に選出され〔『官報』第8485号、明治44年9月30日。〕、1918年9月まで在任した。 1918年、佐々田合名会社を創立して社長となり、王子電気取締役、王子環状自動車、東洋火災重役として活躍した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐々田懋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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