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佐々長秋 : ウィキペディア日本語版
佐々長穐[さっさ ながあき]

佐々 長穐(さっさ ながあき、天文6年(1537年)? - 慶長20年(1615年)?)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。通称は権左衛門尉。
== 生涯 ==
織田氏の家臣・佐々良則(一兵衛尉主知)の子として誕生。
はじめ織田氏に仕え、越後上杉氏との外交交渉を担っていた父に続いて、永禄年間より上杉氏との外交折衝に活躍する。天正3年(1575年)越前一向一揆討伐に参戦。そのまま簗田広正与力として加賀檜屋城代となり一揆平定に苦心するが進展せず、広正は解任されると長穐も帰還した。天正6年(1578年)、上杉謙信が急死すると、神保長住の援軍として越中国に送られ、上杉軍と戦う。その後、越中は同族の佐々成政が一職支配権を得るが、この頃の長穐の動向は不明。
本能寺の変後は織田信雄に仕えて尾張青山郷で350貫文を領す。後に豊臣秀吉に仕えて馬廻りとなり、文禄・慶長の役時は肥前名護屋城に在番した。
なお、伝えられる系図によれば佐々成政の弟としているが疑問もある。また、同系図によれば慶長20年(1615年)の大坂の陣で討死したという。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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