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5号は、松浦炭坑が1920年(大正9年)に導入したタンク式蒸気機関車である。 == 概要 == 1919年(大正8年)に長崎市の久保鉄工所で製造された、車軸配置0-4-0(B)、運転整備重量8トン、2気筒単式の飽和式サイド・ウェルタンク機関車である。久保鉄工所は、主に船舶機器を主力とし、鉱山機械も扱ったようであるが、ここで製造された蒸気機関車はこの1両のみである。久保鉄工所自身も町工場程度の規模であった。機関車そのものは、コッペル製の模倣であり、深川造船所のものとも類似点がある。 松浦炭坑への入籍時には5とされたが、1931年(昭和6年)に正式に専用鉄道の認可を受ける際には、1として申請されている。これは、当時松浦炭坑の機関車として最も新しく、申請用として無難とされたからのようである。ただし、現車の改番は実施されていない。 その後、松浦炭坑の経営は岡本彦馬に移り、1933年(昭和8年)8月16日には、専用鉄道の一切が佐世保鉄道に譲渡された。この時に、15と改番されている。さらに、1936年(昭和11年)10月1日に佐世保鉄道は鉄道省により買収され、国有化された。その際には、ケ99形(ケ99)とされている。 この機関車は、主に世知原線、臼ノ浦線で使用されたが、構造が単純で使い易い機関車であったようである。旧佐世保鉄道線(松浦線)の1,067mm軌間への改軌工事完成とともに不要となり、佐々機関区に保管されたが、1948年(昭和23年)5月に廃車となった。処分は解体と推定される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松浦炭坑専用鉄道5号蒸気機関車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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