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佐世清宗 : ウィキペディア日本語版
佐世清宗[させ きよむね]
佐世 清宗(させ きよむね、生没年不詳)は、戦国時代武将。家系は出雲国守護佐々木氏の一門。官途は伊豆守。父は佐世幸勝。子に佐世正勝佐世元嘉
== 生涯 ==
佐世幸勝の子として誕生。
はじめは出雲州衆の一員として出雲国の尼子氏に仕えたが、主君・尼子晴久から奉行衆に任命され、家老衆である富田衆の一員として殆どの奉行連署状に名を連ねた。また文芸に優れ、主君・晴久とともに連歌会の席に出席し、自ら自閑斉と号し画を残している。天文23年(1554年)元旦、富田城中「杵築大社法楽」の連歌会にも参加した。
安芸国毛利氏が勢力を拡大すると、これと戦い度々出陣した。天文9年(1540年)9月には、毛利元就吉田郡山城の戦いに出陣。永禄3年(1560年)7月には、石見銀山山吹城攻めに出陣した。毛利氏が出雲へと侵略を開始すると、永禄6年(1563年)9月、尼子倫久を総大将とした白鹿城の救援に従軍するも敗北を喫して撤退した。永禄8年(1565年)4月、毛利元就による月山富田城の戦いの際にも、尼子秀久を大将とした3000余人で菅谷口を守った。
しかし、月山富田城内が混乱の極みに達した永禄8年(1565年)冬、息子2人を連れて毛利氏の包囲軍に降伏した。清宗以外にも尼子氏の重臣であった亀井安綱河本隆任川副久盛牛尾幸清湯惟宗らも次々と降伏していったが、清宗は破格の待遇をもって迎えられたという。
末裔には明治維新後、萩の乱を起こした前原一誠がいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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