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佐久ホテル(さくホテル)は長野県佐久市にある宿泊施設(ホテル)。 == 歴史 == ホテルの歴史は1428年(正長元年)、領主として篠澤河内守がこの場所に住み始めたことに遡り〔竹田忍「200年企業――成長と持続の条件222 領主の奉仕精神 脈々と 佐久ホテル、鯉料理で歓待」日本経済新聞2013年(平成25年)9月30日付朝刊13面。〕、長野県内の企業では最古の歴史を持つ〔「創業100年以上の企業の割合 県内3.08%で全国7位 民間まとめ」日本経済新聞』2013年10月11日付地方経済面(長野)。〕。 室町時代に宿を創め、明治時代にホテルとなり、現在も篠澤家が同じ場所で営業を継承している。創業から現代までの文献が多数現存しているが、なかでも足利将軍や徳川将軍から賜った礼状は20点近い〔「The Brand 暖簾」平成21年3月佐久商工会議所発行 全64ページの中の3ページ目〕。 1531年には篠澤信重が武田信玄を接待し『感状軸』を拝領。信玄が邸内の井戸水を沸かした風呂に入浴したとの伝承もある〔『信濃毎日新聞』2012年8月27日付22面。〕。以降、明治後期まで『旭湯温泉』とも呼ばれ、江戸時代の文献には諸国大名に料理・風呂・寝具などを提供したと記されている。 慶安年間の献立には鯉料理が2種類記載されているが、これが佐久鯉料理の最古の記録とされている〔2006年佐久史学会『佐久』No.48・49合併号/全204頁中22頁に記載〕。1691年(元禄3年)に岩村田祇園祭の御振舞之儀を承り、以来300年以上の長きにわたり、岩村田祇園祭では約150名分の鰻蒲焼、豆腐料理、天茶、刺身、前菜、酒肴、酒、飲物等を無料で振舞っている。 1750年(寛延3年)篠澤佐五右衛門滋包淑が、岩村田藩主内藤正弼の法要料理を菩提寺である西念寺へ届けたという記録があり、260年以上経った現在でも西念寺への法事料理の出前を行っている〔毎日新聞2001年10月4日21面〕。 明治時代には宮内省の命を受け明治天皇の専用室を建設し『佐久ホテル』と命名される〔「篠澤明剛 佐久ホテル 代表取締役 伝統を生かした丁寧な暮らし それが長い歴史につながる」『環境会議』第40号、 事業構想大学院大学出版部、2013年9月、72-76ページ。〕。戦時中は農兵隊宿舎となり、終戦まで毎日200名以上の隊員が宿泊をした〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐久ホテル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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