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佐久川寛賀 : ウィキペディア日本語版
佐久川寛賀[さくがわ かんが]
佐久川 寛賀(さくがわ かんが、生没年不詳。 1786年 - 1867年、ほか複数説あり〔他に1782年-1837年1733年-1815年1762年-1843年説などがある。外間哲弘『空手道歴史年表』21頁参照。〕。)は沖縄県琉球王国時代の武術家。
現代の空手の源流の一つである唐手(とうで、琉球方言でトゥーディー、トーディー)の祖にあたり、唐手佐久川(とうでさくがわ、トゥーディー・サクガァー)とあだ名された。「彼(佐久川)の後には彼はなく、後世の世に称せられる人で、力量その他の点において、彼の右に出るほどの人はなかった」〔本部朝基『私の唐手術』東京唐手普及会、1932年、82頁。〕(本部朝基)と讃えられる唐手(とうで)の大家である。
== 経歴 ==

=== 生い立ち ===

佐久川寛賀は旧姓を照屋といい、正確な生年は不明で複数説があるが、およそ18世紀後半に首里赤田村(現・那覇市首里赤田町)に生まれた(鳥堀村との説もあり)。称号は筑登之親雲上(チクドゥンペーチン)、あだ名は、唐手佐久川と呼ばれた。易氏・浦添親方寛安から数えて九世にあたるとされる首里士族である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐久川寛賀」の詳細全文を読む



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