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佐久間信近 : ウィキペディア日本語版
佐久間信近[さくまのぶちか]

佐久間 信近(さくま のぶちか)は、江戸時代中期の旗本松前三郎兵衛広居の次男であったが、佐久間信賢の娘を娶り末期養子となった。
安永元年(1772年)12月27日、17歳で養父・信賢より家督(蔵米300俵)を継いだ。安永2年(1773年)12月30日、大番に列せられ、天明8年(1788年)7月19日には大番組頭に昇進する。寛政5年(1793年)7月10日、御徒歩頭となり、同年12月28日には布衣を許された。
寛政6年(1794年)10月15日、西の丸御目付に転任し、同8年(1796年)5月21日よりは本丸勤めとなった。同年12月15日、西の丸修理を担当した功労により時服金黄金3枚を賜った。
寛政9年(1797年)5月18日、将軍継嗣・徳川家慶の西の丸入りを世話した功労に対して時服金2両を賜った。
寛政重修諸家譜』編纂時の当主であり、神田雉子町、本所永倉町に屋敷を構えていた。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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