翻訳と辞書
Words near each other
・ 佐久間大膳亮勝之
・ 佐久間奈緒
・ 佐久間妙子
・ 佐久間孝正
・ 佐久間学
・ 佐久間安世
・ 佐久間安政
・ 佐久間安次
・ 佐久間安長
・ 佐久間宏則
佐久間定良
・ 佐久間実勝
・ 佐久間宣行
・ 佐久間家盛
・ 佐久間寛志
・ 佐久間将監
・ 佐久間屋敷
・ 佐久間山
・ 佐久間山貴之
・ 佐久間川


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

佐久間定良 : ウィキペディア日本語版
佐久間盛郎[さくま もりよし]

佐久間 盛郎(さくま もりよし)は、江戸時代前期の旗本
元和6年(1620年)、家督(上総国茨葉村の内1000石)を相続。翌7年(1621年)、御書院番に列せられた。同9年(1623年)、徳川家光の上洛に供奉した。
寛永10年(1633年)2月7日、武蔵国忍の内に200石を加増されたが、後に自ら願い出て蔵米に改められた。寛永16年(1639年)2月15日、市谷門普請の奉行を務めた。
寛永20年(1643年)10月10日、医師・慶悦と共に土井甚十郎宅を訪問した帰途において、不意に慶悦に斬りつけられた。理由を糺すため捕縛しようとするも従者らが慶悦を殺害。盛郎も「殺すな」とは言わなかったが、そのことも含めて幕府にはそのまま正直に届け出た。盛郎は取調べを受けたが、従者らの証言とも食い違いはなく、特に問題はなかったということで、慶悦が突然の狂気によって凶行に及んだものとして、盛郎にはお咎めはなかった。
慶安2年(1649年)4月、徳川家綱日光参拝に供奉した。同年10月18日、幕府の命により林丹波守勝正と共に越前国福井に赴き、松平光通の後見役を務めた。翌3年(1650年)9月3日、西城御小姓組に異動。慶安4年(1651年)6月28日、酒井忠当に預けられていた加藤忠広の母が没した際、検使として出羽国庄内に派遣された。寛文3年(1663年)4月、日光参拝において諸道具奉行を務めた。
寛文5年(1666年)、没。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐久間盛郎」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.