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佐久駅 : ウィキペディア日本語版
佐久駅[さくえき]

佐久駅(さくえき)は、北海道上川総合振興局中川郡中川町大字佐久にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線である。駅番号W63電報略号サク
急行列車が運転されていた時代は急行「宗谷」の上りが停車した。
== 歴史 ==
* 1922年(大正11年)11月8日 - 鉄道省天塩線音威子府駅 - 誉平駅(後の天塩中川駅)間開通に伴い開業〔書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館1993年6月発行)179-180ページより。〕〔書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 1 北海道』(監修:今尾恵介新潮社2008年5月発行)47ページより。〕。一般駅
* 1924年(大正13年)6月25日 - 線路名を天塩南線改称、それに伴い同線の駅となる〔。
* 1926年(大正15年)9月25日 - 天塩南線と天塩北線を統合し線路名を天塩線に改称、それに伴い同線の駅となる〔。
* 1930年(昭和5年)4月1日 - 天塩線を宗谷本線に編入、それに伴い同線の駅となる〔。
* 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
* 1982年(昭和57年)11月15日 - 貨物取扱い廃止。
* 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止。
* 1986年(昭和61年)11月1日 - 無人化〔書籍『無人駅探訪』(監修:西崎さいき、文芸社2011年6月発行)149ページより。〕。
* 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
* 1990年(平成2年) - 駅舎改築〔書籍『北海道鉄道駅大図鑑』(著:本久公洋、北海道新聞社2008年8月発行)217ページより。〕。
== 駅構造 ==
相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅となっている〔書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館1993年6月発行)148ページより。〕。互いのホームは駅舎側ホーム南側と対向側ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡している〔。駅舎側(西側)が下りの1番線、対向側ホームが上りの2番線となっている〔。分岐器の形状は2番線からの方開き分岐となっている〔。そのほか1993年(平成5年)3月時点では2番線の旭川方から分岐した、対向側ホーム外側への行き止りの側線を1線有していた〔。この短い側線は1983年(昭和58年)4月時点では副本線であり〔書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)183ページより。〕、この副本線からさらに貨車のために使用された長い引き上げ線が分岐していた(北側、南側に行き止りの線を各1線、及び副本線の外側にもう1線)〔。また1番線の稚内方から分岐し駅舎北側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた〔。これらの側線は1993年(平成5年)3月までには撤去された〔。
無人駅となっている。駅舎は構内の西側に位置しホーム南側に接している〔。開業時からの駅舎は中川町により1990年(平成2年)に改築され、「佐久ふるさと伝承館」と名付けられた公共施設となっている〔。舎内には旧駅舎を描いた絵画や、当地の古道具や農機具、出土したアンモナイト化石、馬橇の絵画などが展示されている〔。2階には研修室が併設されている〔。駅舎内にトイレを有する〔。
かつては「DISCOVER JAPANスタンプ」が設置されていた〔書籍『国鉄監修 スタンプノート 改訂6版』(弘済出版社1979年7月発行)8ページより。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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