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佐伯伊多智 : ウィキペディア日本語版
佐伯伊多智[さえき の いたじ]

佐伯 伊多智(さえき の いたじ、生没年不詳)は、奈良時代貴族。本姓は佐伯宿祢。名は伊多治伊太智伊多知伊達とも書く。佐伯石湯の子。子に佐伯葛城がいる。従四位上中衛中将
== 略歴 ==
天平宝字8年(764年9月11日衛門少尉であった佐伯伊多智は藤原仲麻呂の乱孝謙上皇(称徳天皇)方として動き、恵美押勝(藤原仲麻呂)軍が近江国に逃亡しようとしたため山城守日下部子麻呂とともに田原道を先回りして近江に出て勢多橋を焼き落としその気勢を削いだ。慌てた押勝軍が高島郡に向かうのを見て、伊多智等は馬を駆って先に越前国に入り押勝の息子である従五位下越前守恵美辛加知を斬殺した。翌9月12日、伊多智等は塩焼王を騙して帝に擁立し越前国に入ろうと愛発関に至った押勝軍と交戦、押勝軍の数名は伊多智等が放った矢に当たって死亡した。この戦功によって、伊多智は従五位下に叙せられ、9月18日には逃亡した恵美押勝が石村石楯によって斬殺され、孝謙上皇はその10月に淳仁天皇を廃し称徳天皇となり、逆徒追討の功で伊多智は従五位上に叙される。翌年の天平神護元年(765年1月7日に伊多智は勲二等の叙勲を授かり、さらに天平神護2年(766年2月21日には功田20町を与えられ代々の地権も授かった。
神護景雲2年(768年2月18日、従四位下となった伊多智は左衛士督に任じられ、さらに同年10月15日には従四位上に叙せられる。
宝亀2年(771年閏3月1日、中衛中将であった伊多智は下野守の兼務を命ぜられ下野国に下向するが、その後の消息は記紀に記録されていない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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