|
佐伯 恵眼(さえき えげん)、1873年(明治6年)1月20日 - 1951年(昭和26年)1月25日)は、日本の宗教家、真言宗の僧侶。真言宗総本山醍醐寺第九十六世座主、真言宗醍醐派管長、三宝院門跡、京都専門学校校長(現 種智院大学学長)。 == 年譜 == *1873年(明治6年)1月20日 - 備後国旧福山藩領、小田県福山町野上(広島県福山市野上町2315)士族、森本梁祐次男として生まれる。〔 以下1934の項まで、「神変」(真言宗総本山醍醐寺機関誌)に拠る。〕 *1883年(明治16年)9月9日、広島県御調郡(みつぎぐん)尾道(広島県尾道市)摩尼山西國寺にて、多田實圓(実円)阿闍梨に就いて得度。 *1886年(明治19年) - 4月3日、西國寺道場にて、多田實圓阿闍梨に従い、四度加行開白。 *1887年(明治20年) *2月9日、西國寺道場にて、多田實圓阿闍梨に従い、加行成満。 *4月9日、西國寺道場にて、多田實圓阿闍梨に従い、入壇灌頂。 *1889年(明治22年) - 11月7日、度牒拝受。 *1891年(明治24年) - 5月27日、高野山真別處道場にて、別處榮厳大僧正に従い進具。 *1891年(明治24年) - 6月、別處榮厳阿闍梨より、安流伝授。(安流 * 真言宗小野流三派の一つ 安祥寺流) *1893年(明治26年) - 5月、海島宥中阿闍梨より、西院流 及び、中院流を伝授。 (西院流(にしのいんりゅう) * 保寿院流・仁和御流・西院流を仁和三流と称す *1895年(明治28年) - 12月、高野山古義大学林(現 高野山大学)を卒業。 *1899年(明治32年) - 7月、第一高等学校文科大学予科を卒業。 *1902年(明治35年) *7月、東京帝國大学文科大学哲学科を卒業。インド哲学を修める。 *8月、真言宗聯合高等学校(旧 総黌、現 種智院大学)兼 中学校(現 洛南高等学校)教諭。のち 1913年(大正2年)まで勤続。 *1906年(明治39年) - 真言宗聯合京都大学と改称。〔 種智院大学 沿革〕 *1907年(明治40年) - 1月、上田照遍阿闍梨より、安流伝授。 *1908年(明治41年) - 10月、葦原寂照阿闍梨より、三宝院流伝授。 *1911年(明治44年) - 『真言宗真髄』を六大新報社より刊行。(明治43年、徳島市に於ける仏教講演会講話録)〔 国立国会図書館近代デジタルライブラリー〕 *1914年(大正3年) - 5月、尾道真言宗各派連合宗務支所、学頭に任ぜらる。 *1918年(大正7年) - 9月、古義真言宗連合長者・真言宗御室派管長、土宜法龍阿闍梨より、西院流を伝授。 *1919年(大正8年) - 『宗教発達史上に於ける真言密教』を六大新報社より刊行。〔 国立国会図書館近代デジタルライブラリー〕 *1926年(大正15年) *9月7日 - 学階『学匠』 *9月22日 - 教階『主教』に補せらる。 *1934年(昭和9年) *7月9日、醍醐寺第九十六世座主、真言宗醍醐派第五世管長、総本山醍醐寺三宝院門跡に就任。 *11月18日、真言宗醍醐派第五世管長、総本山醍醐寺座主第九十六世、晋山の厳儀。 *1943年(昭和18年) - 2月22日、京都専門学校長、東寺中学校長就任。(旧 真言宗京都大学/京都中学 現 種智院大学/洛南高等学校) *1946年(昭和21年)- 6月22日、三宝院門跡を辞任。〔 『真言宗年表』(六大新報社)〕 *1951年(昭和26年) - 1月25日、遷化。法号・無量光院恵眼大僧正。法臘六十八、世壽七十八歳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐伯恵眼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|