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佐伯連子麻呂 : ウィキペディア日本語版
佐伯子麻呂[さえき の こまろ]
佐伯 子麻呂(さえき の こまろ、生年不詳 - 天智天皇5年(666年)12月)は飛鳥時代の官人である。名は古麻呂とも書く。。佐伯丹経手の子で、子に大目・歳主がいたとする系図がある〔鈴木真年『諸系譜』第八冊,佐伯宿禰(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年 による)〕。冠位大錦上
== 経歴 ==
皇極天皇3年(644年)に子麻呂は中大兄皇子(後の天智天皇)に臣従し、翌皇極天皇4年(645年)6月には宮廷において朝堂一の実力者・蘇我入鹿大臣の暗殺に参加する。しかし暗殺直前には食事が喉を通らずに吐くほど緊張したと伝えられる。暗殺実行時、入鹿に斬りつけ、皇極天皇にこの事態の説明を求める入鹿の息の根を止めた。
同年11月の中大兄皇子のライバル・古人大兄皇子討伐事件にも関与していたという。
天智天皇5年(666年)12月9日には、病気になった子麻呂を中大兄皇子が見舞い、元から従ってきた功を慨嘆した。やがて間もなく子麻呂は亡くなったと思われる。死後、大錦上の位を贈位された〔『続日本紀天平宝字元年(757年)12月9日条。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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