翻訳と辞書
Words near each other
・ 佐佐木あつし
・ 佐佐木三四郎
・ 佐佐木信綱
・ 佐佐木元氏
・ 佐佐木功
・ 佐佐木勝彦
・ 佐佐木勝造
・ 佐佐木大明神
・ 佐佐木就清
・ 佐佐木幸綱
佐佐木広高
・ 佐佐木房高
・ 佐佐木拓丸
・ 佐佐木時久
・ 佐佐木杜太郎
・ 佐佐木治綱
・ 佐佐木源氏
・ 佐佐木茂索
・ 佐佐木行忠
・ 佐佐木邦子


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

佐佐木広高 : ウィキペディア日本語版
佐佐木広高[ささき ひろたか]
佐佐木 広高(ささき ひろたか、正保3年(1646年)- 宝永7年9月10日1710年10月31日))は、江戸時代中期の長州藩士。尼子氏(佐佐木氏)の10代目当主である。実父は宍道元兼で、先代尼子就易の父宍道就兼の兄にあたり、広高はその元兼の次男である。初名は氏久(うじひさ)、のちに藩主毛利綱広より偏諱を賜って広高に改名。子には佐佐木元氏、娘2人が粟屋元興室・粟屋元興継室と粟屋氏へと嫁いでいる。
先代就易には実子が無かったため、その従弟である広高が養子となった。宍道氏近江佐々木氏の一家である京極氏5代目当主京極高秀の四男の秀益が、出雲国意宇郡宍道に居を構えたことから始まっているが、秀益は尼子氏の祖である尼子高久とは兄弟である。また、就易と元兼の曽祖父宍道隆慶の母が尼子国久の娘であり、こういった経緯から、先代就易と同じく広高も尼子氏の養子に入ったと推測される。
宝永7年(1710年)9月10日に死去した。享年64。家督は子の元氏が継承した。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐佐木広高」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.