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佐保美代子 : ウィキペディア日本語版
佐保美代子[さほみよこ]

佐保 美代子(さほ みよこ、本名: 門屋定子、旧姓: 矢野〔『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1938年12月1日、225号、63頁〕、
1913年7月15日〔宝塚歌劇の殿堂 第一会場『殿堂ゾーン』の佐保美代子所縁の展示品から〕 - 1954年9月26日)は、兵庫県神戸市出身〔『寳塚』平井房人著、啓方閣、1934年10月5日、102頁〕の元宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)男役月組組長および月組組長を務め、退団後はメイクアップ・アーティストとして活動した。愛称はべーちゃん、ヤノちゃん。
== 来歴・人物 ==
1927年、大開尋常第一小学校(現・神戸市立兵庫大開小学校)卒業後〔『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1931年10月1日、139号、46頁〕に17期生として、宝塚音楽歌劇学校(現在の宝塚音楽学校)に入学して、宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)に入団。当時は「入学=入団」で学校と劇団は一体であった。
1940年 - 1941年、月組副組長。
1941年 - 1944年、月組組長。
1944年、宝塚歌劇団を退団。
退団後は結婚して、中国に渡る。
引揚者となって上海から日本に引き揚げてきた〔『スタア』、スタア社、1946年5月号〕後に、宝塚歌劇団の下級生・社敬子の紹介で、マックスファクターのメイクアップ・アーティストになる。
1954年9月26日、青函連絡船洞爺丸事故での遭難によって津軽海峡で逝去〔はこだて観光がいど-洞爺丸台風と被害の内容- 2012年3月1日閲覧。〕。享年41。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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