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佐原 恭輔(さはら きょうすけ)は長崎県出身の日本の柔道家。階級は65kg級。 == 経歴 == 国士舘大学から長崎県警所属となった。 1975年の選抜体重別軽量級では多賀高校教員の柏崎克彦に敗れて2位だった。 1977年の選抜体重別65kg級では新日鉄広畑の南喜陽に敗れて2位にとどまった。 1978年から1981年にかけての選抜体重別では、東海大学教員となった柏崎に敗れ続けると、1982年の決勝でも新日鉄広畑の斉藤俊郎に敗れて、この大会では計7回も2位にとどまり1度も優勝できずに終わるという珍記録を達成した〔「激動の昭和スポーツ史⑯ 柔道」 ベースボールマガジン社、1989年発行 〕。 その一方で、1976年、1978年、1979年の講道館杯決勝では柏崎を破るなど、1983年も含めて計4回の優勝を果たした〔。 国際大会では、1977年のフランス国際、1979年のソ連国際で優勝、1978年の嘉納杯では決勝で光洋産業の秋本勝則に敗れて2位だった。 1979年の世界選手権代表に選出されると、準決勝で地元フランスのイブ・デルバンに1-2の微妙な判定で敗れるが、3位決定戦ではイギリスのレイモンド・ニーナンを巴投の有効で破り3位となった〔。 1981年と1984年のアジア選手権では優勝を飾った。1982年の嘉納杯では柏崎に大内刈で敗れて2位に終わった。 ライバルの柏崎同様、寝技を得意にしていた選手であった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐原恭輔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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