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佐和山城の戦い : ウィキペディア日本語版
佐和山城[さわやま じょう]

佐和山城(さわやま じょう)は、日本中世中期から近世初期にかけて、近江国坂田郡(現・滋賀県彦根市)の佐和山に存在した日本の城山城)である。現・佐和山城址。
坂田郡および直近の犬上郡のみならず、近江支配の重要拠点であり、16世紀の末には織田信長の腹心丹羽長秀豊臣秀吉の奉行石田三成が居城としたことでも知られる。
== 歴史 ==

=== 佐々木・六角・浅井・織田の時代 ===
佐和山城の歴史は、鎌倉時代、近江守護職・佐々木荘地頭であった佐々木定綱の六男・佐保時綱が築いたが始まりとされ、建久年間(1190- 1198年)の文書にその名が見える。
室町時代応仁年間(1467- 1468年)は、六角氏家臣の小川祐忠が在城した。
戦国時代が後期に入ると、北近江における六角氏勢力は衰退し、それにともなって佐和山城は新興勢力である浅井氏の支城となった。
元亀年間には時の城主・磯野員昌織田信長らと8ヶ月におよぶ激戦を繰り広げた。しかし、1571年(元亀2年)2月に員昌は降伏し、代わって織田氏家臣の丹羽長秀が入城。浅井氏旧領と朝倉氏の旧領南部、すなわち、北近江六郡と若狭国の支配拠点とした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sawayama Castle 」があります。



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