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佐土原藩 : ウィキペディア日本語版
佐土原藩[さどわらはん]

佐土原藩(さどわらはん)は、江戸時代に日向国那珂郡及び児湯郡を領有した藩。藩庁は佐土原城宮崎県宮崎市佐土原町)。島津氏支族佐土原島津家が藩主であり、薩摩藩支藩とされるが、その関係の正確性は薩摩藩との関係を参照。

== 歴史 ==
1603年(慶長8年)、島津貴久の弟・忠将の子である以久が、日向国那珂郡児湯郡内で3万石を与えられて独立し、居館を佐土原城に構えた。この地は元々島津一族の一人であった島津家久豊久親子の領地であったのが、関ヶ原の戦いで豊久が死去し無嗣断絶扱いになり、改めて江戸幕府より以久に与えられたものである。この時、家久・豊久来の譜代の家臣に加え、以久が松木氏など新参の家臣を垂水より引き連れ、家臣団の門閥対立の基となる。
第6代・惟久は出生後まもなく、父忠高を失い、あまりに幼いが故、成長まで、番代として忠高の従兄弟である久寿が養子となって家督を継ぐ。藩内では、久寿の父久富や重臣松木左門の専横によりお家騒動となり、1686年貞享3年)薩摩藩の介入を招いた(松木騒動)。1690年元禄3年)、久寿は16歳に成長した惟久に家督を譲ったが、その際、幕府の意向により3000石を島之内に分与されて旗本寄合となり、その結果、佐土原藩の石高は27000石となった。
佐土原は元々城地であったため、1699年(元禄12年)に城主の格式が与えられている。
幕末は、薩摩藩と行動をともにし、忠寛は、1869年(明治2年)に戊辰戦争の激戦の功により、賞禄3万石を与えられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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