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佐山 俊二(さやま しゅんじ、1918年9月13日 - 1984年1月30日)は、日本のコメディアンであり俳優である。本名は中江 勇(なかえ いさむ)。 == 人物・来歴 == 1918年(大正7年)9月13日、北海道登別市に中江勇として生まれる。兄は劇作家の中江良夫である。室蘭市の旧制・室蘭尋常高等小学校(現在の北海道室蘭市立本室蘭小学校)を卒業する。 上京し、20歳になる1938年(昭和13年)に初舞台、1943年(昭和18年)、25歳となるころ「佐山俊二一座」を旗揚げ、ついで1944年(昭和19年)に「劇団新生座」を旗揚げした。 第二次世界大戦の終結後、八波むと志とあらいやだコンビを結成した。浅草・フランス座で人気を博す〔堀切直人『浅草 戦後篇』(右文書院、2005年12月、ISBN 484210063X)のp.215の記述を参照。〕。 1956年(昭和31年)に由利徹、南利明と八波が脱線トリオを結成したが、八波が抜けるときの代打として佐山が舞台に立つことがあった。脱線トリオは1961年(昭和36年)に解散した。 1957年(昭和32年)1月13日、富士映画が製作、新東宝が配給した菅井照三監督の『女護が島珍騒動』で映画に初出演、主演した。 最晩年まで由利徹、南利明らと舞台で共演、映画「男はつらいよ」へも備後屋役でレギュラー出演するなど、名脇役の喜劇役者として活躍していたが1984年(昭和59年)1月15日、舞台『初春浮世まくら』公演中の夜に脳出血のため倒れ、1月30日に愛知県名古屋市昭和区の名古屋第二赤十字病院で死去する。満65歳没。 死因は桜金造「身長5cmの幽霊」参照 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐山俊二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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