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佐川 和夫(さがわ かずお、1939年10月29日〔魂の骨格 第27回 特技監督 佐川和夫 魂ウェブ〕 - )は、日本の特撮監督。 == 略歴 == 日本大学藝術学部卒業。在学中に円谷プロダクションに出入りし、円谷英二に師事する〔『怪奇大作戦大全』p251、荻野友大・白石雅彦・なかの★陽編、双葉社、2001年〕。卒業後東宝特殊技術課を経て、円谷プロダクションに入社〔『日本映画人名事典 監督編』「佐川和夫」の項目、キネマ旬報社、1997年〕。 『ウルトラQ』で撮影助手として始動、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』でキャメラマンを務めた後、『マイティジャック』の第4話「祖国よ永遠なれ!!」で特技監督デビュー〔 封入解説書 特撮監督 佐川和夫インタビューより。〕。『帰ってきたウルトラマン』の第13話「津波怪獣の恐怖 東京大ピンチ!」で初めてウルトラシリーズの特撮監督を務めた その後、様々な円谷作品に関わった後、1977年にフリー〔。 1979年の『バトルフィーバーJ』で東映特撮作品にも参加。1980年に特撮研究所に籍を置き〔、以降は1996年の『超光戦士シャンゼリオン』までは特撮研究所が担当する作品が中心となった。 1982年にデン・フィルム・エフェクトに在籍、1985年に再びフリーとなった〔。 1993年の『電光超人グリッドマン』で円谷作品に復帰。その4年後の『ウルトラマンティガ』第47話「闇にさようなら」で『ウルトラマン80』第50話「あっ! キリンも象も氷になった!!」以来16年ぶりとなるウルトラシリーズの特技監督を務めた。その後『ウルトラマンダイナ』『ウルトラマンガイア』『ウルトラマンコスモス』の特撮監督を担当した。『ウルトラマンコスモス』の第65話「真の勇者」を最後に演出作品はなく、現在は時折、特撮関係のムックでインタビューに答えている様子も見られる。 光学撮影技師の中野稔〔、監督の東條昭平、坂本太郎とは日芸で同期だった。また、香港のプロデューサーである蔡瀾とは日芸時代の友人であり、その縁で香港映画の特撮を手掛ける〔。 ウルトラシリーズの特撮演出本数109本(映画含めて)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐川和夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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