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佐東銀山城の戦い[さとうかなやまじょうのたたかい]
佐東銀山城の戦い(さとうかなやまじょうのたたかい)は、安芸武田氏の本拠であった安芸国佐東郡(現在の広島市安佐南区)の佐東銀山城を巡って発生した合戦である。佐東銀山城を巡る戦国時代の戦いは、大内氏による戦いと、毛利氏による戦いがあり、後者の戦いで安芸武田氏は滅亡している。 == 背景 == 佐東銀山城を本拠地とする安芸武田氏は、安芸への進出を図る周防国の戦国大名・大内氏に長年苦しめられており、第7代当主・武田元繁は、大内氏への服属を余儀なくされていた。大内義興とその主力が上洛している隙を突き、独立と勢力拡大を画策した元繁は出雲国の尼子氏に近づくものの、永正14年(1517年)の有田中井手の戦いで毛利元就に敗れたため、逆に安芸武田氏は弱体化する。元繁の跡を継いだ武田光和は、引き続き尼子氏の力を借りて立て直しに注力するが、これにより、安芸を狙う大内と尼子の争いも激化。大永3年(1523年)には、大内氏が九州北部に出陣している間に尼子氏が進軍しており、大内方の拠点であった鏡山城を落していた(鏡山城の戦い)。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐東銀山城の戦い」の詳細全文を読む
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