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佐波隆秀 : ウィキペディア日本語版
佐波隆秀[さわ たかひで]

佐波 隆秀(さわ たかひで)は、戦国時代から安土桃山時代武将石見国国人領主尼子氏大内氏に従属し、最後は毛利氏の家臣となった。

== 生涯 ==
佐波氏三善清行の末裔で、子孫の三善義連石見に下向し、邑智郡佐波荘を領して佐波氏を称した。赤穴氏も同族である。その後は国人領主として大内氏に従っていた。
しかし天文20年(1551年)、大内義隆陶晴賢ら重臣の謀反(大寧寺の変)で横死した際、当主であった従兄・佐波隆連も主君と共に討死した。そのため急遽隆秀が後継者となったが、佐波家中には隆秀の相続に反対する動きもあり、隆秀は嫡子の恵連に隆連の娘を娶らせ、恵連の成人まで家督を継ぐという条件で家督を継承することとなる。そして弘治2年(1556年)には毛利元就に帰属して家臣となり、その後は一族の離反者を討伐し、豊前への侵攻時にも敵の大将・長野弘勝を討ち取る等、各地を転戦して武功を挙げた。
文禄元年(1592年)から始まる豊臣秀吉朝鮮出兵の際には、主君の毛利輝元から広島城の留守居を命じられている。同年に死去、恵連が跡を継いだ。
慶長10年(1605年)に熊谷元直、天野元信一族が萩城築城の遅れを口実に粛清された際、隆秀の子とも孫ともされる佐波善内も粛清されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐波隆秀」の詳細全文を読む



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