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佐立 七次郎(さたち しちじろう)は、明治時代に活躍した建築家。工手学校(現工学院大学)造家学科教員。 == 経歴 == *1856年(安政3年)讃岐藩士の子として高松市に生まれる。 *1873年(明治6年)8月 工学寮に入学する *1879年(明治12年)11月 工部大学校造家学科を卒業(同期に辰野金吾、曾禰達蔵、片山東熊がいる)。工部省技手となり、営繕局勤務上野博物館建築掛を命じられる *1880年(明治13年)10月 鉱山局勤務となり、秋田県院内鉱山建築掛を命じられる *1882年(明治15年)4月 会計検査院建築掛を命じられ、設計・監督を担当する *1883年(明治16年)7月 海軍省に転任し、横須賀鎮守府造船所在勤建築課員営繕掛となり、学舎教授掛兼務を命じられる *1884年(明治17年)5月 依願免官となり、藤田組(現フジタ)に入る *1887年(明治20年)2月 逓信省に入り、逓信技師に任じられる。工学士の称号を認可される。 *1888年(明治21年)郵便及び電信局舎建築法研究のため、欧米へ出張し、翌年帰国。 *1891年(明治24年)10月 逓信省を辞し、建築設計事務所を開設する *1897年(明治30年)頃 日本郵船株式会社の建築顧問となる。 *1912年(大正1年)12月 退社し、自宅で静養する *1922年(大正11年)11月 逝去(享年67)。遺言により、遺体は慶應病院において解剖される 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐立七次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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