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佐竹義生 : ウィキペディア日本語版
佐竹義生[さたけ よしなり]

佐竹 義生(さたけ よしなり、慶応3年7月7日1867年8月6日) - 大正4年(1915年2月22日)は、明治時代の華族佐竹義堯の次男。生母は大塚氏(側室)。佐竹宗家33代当主。爵位は侯爵。幼名、鈷丸。姉妹に雅子(佐竹義脩正室)、鐶子(佐竹義理正室)がいる。号は秋竹。妻は祚子(徳大寺実則娘)。子女は佐竹義春(よしはる)、佐竹義行(よしゆき)、佐竹義通(よしみち、佐竹義種養子)、佐竹義勝(よしかつ、佐竹義通養子)、佐竹義心(よしのり)、涼子、静子(伊藤次郎左衛門妻)、松平忠宏(ただひろ、松平忠礼の甥・忠正の養子)。
== 生涯 ==
明治5年1872年)10月14日、義兄佐竹義脩の養子となる。明治11年(1878年)1月、従五位を与えられる。その後、従二位まで昇る。明治14年(1881年)12月、父義堯の嫡子となる。明治17年(1884年)12月、父義堯の死去により、家督を相続する。明治25年(1892年)6月、満25歳に達し貴族院侯爵議員に就任〔『官報』第2677号、明治25年6月2日。〕。侯爵であることから、死亡するまで在職した。同年、久保田城の公園が秋田県に移管された際に「千秋公園」と名づけた。田沢疏水事業にも尽力した。大正4年(1915年)2月21日に従二位に叙せられ、翌日に没した。家督は義春が継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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