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佐竹貞義[さたけ さだよし]
佐竹 貞義(さたけ さだよし)は鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。佐竹氏の第8代当主。 ==生涯== 北条氏得宗家当主・北条貞時より偏諱を受けて〔『結城市史』第四巻 古代中世通史編(結城市、1980年)P.297 の説による。但し、「正宗寺本 佐竹系図」の貞義の傍注には「貞氏御一字也」と記載されており(『大日本史料』6-17、P.16)、正確には貞時の偏諱を受けた足利貞氏から「貞」の字を受けたものとみられる。〕貞義と名乗る(具体的な元服の年は不明)。 1303年、多賀郡に興禅寺を建立する。鎌倉幕府の討幕運動が始まると、幕府軍の一員として笠置山攻めに参加し、武功を挙げた。しかし足利高氏の調略を受けて討幕軍に寝返る。建武2年(1335年)11月、その功績により常陸守護に任じられた。 1352年9月10日、66歳で死去し、後を嫡男の義篤が継いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐竹貞義」の詳細全文を読む
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