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佐紀陵山古墳 : ウィキペディア日本語版
佐紀陵山古墳[さきみささぎやまこふん]

佐紀陵山古墳(さきみささぎやまこふん)は、奈良県奈良市山陵町にある前方後円墳佐紀盾列古墳群を構成する古墳の1つ。
宮内庁により「狹木之寺間陵(さきのてらまのみささぎ)」として第11代垂仁天皇皇后の日葉酢媛命の陵に治定されている。大正時代に盗掘事件が発生し、それに伴って当時としてはかなりの規模の調査が実施されたとされる。
== 概要 ==
殉死のかわりに初めて埴輪を御陵に立てたという説話が日本書紀に記されているのがこの古墳ではないかとされている。すぐに西側に接して築かれている佐紀石塚山古墳のくびれ部に佐紀陵山古墳の後円部がくい込んだ配置になっている。このため佐紀石塚山古墳の周濠は極端に狭くなっており、佐紀陵山古墳の方が先に築かれたことが推定されている。全長207メートル、前方部幅約87メートル、後円部径131メートル、前方部高さ12.3メートル、後円部高さ約20メートルの規模の三段に築成された古墳である〔河上「大和の古墳」(1984)p.42‐43〕。
1915年大正4年)に大がかりな盗掘をうけ、遺物が持ち出された。この事件はそののち犯人が検挙され、出土遺物は回収されている。翌年に宮内省により、復旧工事が行なわれ、それに伴い、陵墓という性格から大きな制約があったと推察されるものの、石室付近と出土遺物に関するかなり詳細な調査と記録の作成がなされたようである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐紀陵山古墳」の詳細全文を読む



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