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佐藤公治 : ウィキペディア日本語版
佐藤公治[さとう こうじ]

佐藤 公治(さとう こうじ、1959年7月28日 - )は、日本政治家生活の党と山本太郎となかまたち広島県参議院選挙区第1総支部長。
自由党広島県総支部連合会会長衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)、民主党副幹事長、参議院外交防衛委員長国民の生活が第一財務委員長(初代)、日本未来の党幹事(財務担当)、生活の党参議院幹事長(初代)・財務委員長などを歴任した。
== 来歴 ==

=== 生い立ち ===
慶應義塾高等学校卒業、1983年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。高校・大学とアイスホッケー部で活躍。電通勤務を経て、父・佐藤守良の秘書となる。1996年3月守良が死去。
同年10月の第41回衆議院議員総選挙新進党公認で広島6区に立候補するが、運輸大臣経験者で自民党組織広報本部長の亀井静香に敗れ、次点で落選。(新進党は比例中国ブロックでは現職の自民党総裁総理大臣橋本龍太郎と戦う加藤六月以外は、比例重複を認めなかった)1997年新進党広島県連副幹事長に就任。新進党解党後は、自由党に移り、2000年自由党広島県連会長に就任。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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