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佐藤 兼伊知(さとう けんいち、本名:佐藤 健一(読み同じ)、1959年9月13日 - )は、北海道札幌市白石区出身〔「12球団全選手カラー百科名鑑2012」 (廣済堂ベストムック)〕の元プロ野球選手(内野手)。 == 来歴・人物 == 北海高では、エースとして夏の甲子園南北海道予選決勝に進出するが、札幌商に完封を喫し甲子園出場を逸する。 同年のドラフト5位でロッテオリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)に入団、に内野手に転向する。控え生活が長かったが、9年目のには、水上善雄の欠場もあって遊撃手、三塁手、二塁手を兼ねて活躍、同年は初の規定打席(22位、打率.283)に達する。翌年以降もユーティリティプレイヤーとして起用され、堅実な守備と勝負強いバッティングを見せた。には、開幕直後に故障欠場を余儀なくされるが、その後は遊撃手に定着し打率.297の好成績をマーク。には2度目の規定打席(18位、打率.271)に達する。しかしには南淵時高と併用され、出場機会が減る。同年シーズン途中に登録名を佐藤 兼伊知に変更。翌のシーズン終了後に現役引退。 引退後はからロッテのコーチを務めていたが、10月6日に球団より翌年のコーチ契約を結ばないことが発表され、野球振興事業担当へ異動。2008年より振興部テクニカルコーチとして、ベースボールアカデミーで海外の提携球団や千葉県内の野球教室で指導を行っていた。2008年は提携先の中国・江蘇ホープスターズの監督に就任し、元同僚の園川一美が投手コーチを務めていた。 よりロッテに復帰し、二軍内野守備走塁コーチを務める。 2012年より一軍内野守備走塁コーチ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐藤兼伊知」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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