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佐藤勝巳 : ウィキペディア日本語版
佐藤勝巳[さとう かつみ]
佐藤 勝巳(さとう かつみ、1929年3月5日 - 2013年12月2日)は、日本評論家雑誌編集者人権活動家。「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」前会長である。現代コリア研究所所長。
== 略歴 ==
新潟県出身。元日本共産党員。旧制中学を卒業後、新潟県立巻高等学校を中退し、川崎汽船に勤務するが、1950年労働組合専従だったためにレッドパージを受け失職。在日朝鮮人の帰還事業に参加し、北朝鮮から2度(1962年11月10日1964年9月23日)にわたり勲章(「朝鮮民主主義人民共和国赤十字栄誉徽章」)を授与される。在日韓国・朝鮮人差別反対運動にも大きくかかわった。
その後、北朝鮮の実態に失望し、日本共産党を脱党、反北朝鮮的立場へと転向した。北朝鮮に拉致された日本人の救出運動に乗り出したが、一方で自らが北朝鮮へ送り出した人々の支援救出運動にはかかわらなかった。存在しないとされていた拉致事件と被害者が北朝鮮から帰って来た事に対して「救う会」会長としてどう思っているのか?とのTV局の質問に対して、暫く押し黙った後に「拉致事件を報道してくれたのはニシ(2紙誌)だけでした」とだけ答えた。
* 1957年新潟市民主商工会活動に参加。
* 1958年在日朝鮮人祖国帰国実現運動に1984年まで参加。
* 1960年日朝協会新潟支部専従事務局長。帰国運動と日韓会談反対運動に参加。
* 1961年、『朝鮮研究』創刊(11月)。
* 1964年、上京日本朝鮮研究所所員。翌年から事務局長。
* 1968年金嬉老事件裁判で特別弁護人を務める。
* 1969年出入国管理令改正反対運動に参加。
* 1970年日立就職差別事件裁判にて原告補佐人。以後、個人に対する多くの反民族差別運動に関与。この後、反北朝鮮的立場へ転向、「研究所」も編集方針を転換した。
* 1984年現代コリア研究所(日本朝鮮研究所から改称)所長。『朝鮮研究』も『現代コリア』に改題。
* 1996年、北朝鮮情勢について新潟市で講演。そこで横田めぐみ拉致事案を地元関係者から聞き取り、水面下で情報を提供し始める〔横田めぐみの失踪は当時新潟県だけでなく、海流の流れる山形県秋田県の警察にも捜査協力を要請し、新潟市内でもこの事件を記憶している人は少なくなかった。佐藤の講演には、複数の失踪事件を抱えていた新潟県警の関係者も事件解決の手がかりとなる話が聞けるかもしれないということで参加していた。講演後の懇親会の場で、佐藤が北朝鮮の元工作員の証言を「現代コリア」に記載した、女子中学生失踪事件の件に触れると、すかさず新潟県警関係者から「それは横田めぐみちゃんのことだ」と声が上がったという。北朝鮮による拉致の可能性を確信した佐藤は水面下で情報を流し、2か月後の一斉報道に繋がっていく。〕〔横田めぐみのことを報じた「新潟日報」記事は、1997年1月頃「現代コリア」のホームページに掲載されていた。〕。
* 1998年、「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」会長。
* 2007年、『現代コリア』廃刊(11月)。インターネット・ウェブ上に活動を移す。
* 2008年、「救う会」会長辞任(名誉会長就任要請を拒否)。
* 2013年12月2日、肺炎のため逝去〔佐藤勝巳さん死去 拉致被害者「救う会」の元会長 朝日新聞2013年12月5日閲覧〕。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐藤勝巳」の詳細全文を読む



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