|
佐藤 忠志(さとう ただし、1951年5月4日 - )は教育評論家・元予備校講師。拓殖大学客員教授。 == 経歴 == 東京都出身。父親は「世間一般で怒らないようなことを怒るし、世間一般じゃ許さないようなことを認める」人だったという〔吉田豪『続・人間コク宝』コアマガジン、2007年。p.36〕。小学1年生のときから芸者に親しみ、中学の入学祝いで父親に十二社(東京都新宿区西新宿)のトルコ風呂へつれていかれ、童貞を喪失〔吉田豪『続・人間コク宝』コアマガジン、2007年。p.36〕。芝浦工業大学高等学校〔のち佐藤は高校時代を回想して「高校がとにかくダメなところで、文化がないのに文化祭やるから人がこない。学校の名前を出したら女から相手にされないというようなところだった」と語っている(吉田豪『続・人間コク宝』コアマガジン、2007年。pp.37-38)。〕を経て慶應義塾大学を受験するが不合格。併願で合格していた立教大学に入学して仮面浪人となり、翌年に慶應義塾大学法学部政治学科に入学する。 在学中は内山秀夫研究会に所属し国際政治学を専攻。 慶應卒業後、筑波大学大学院修士課程を修了。その後1977年に代々木ゼミナール講師となり、独特のヤクザ風の風貌と教授法で金ピカ先生として一世を風靡。旺文社大学受験ラジオ講座も担当する。 1988年に東進ハイスクールへ移籍。さらにタレント活動にも進出し、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』などに出演した。しかし、1992年に予備校講師を引退〔その後も1990年代後半には栄光予備校、2005年12月26日-12月30日に神奈川県小田原市小田原城址公園の報徳二宮神社内報徳会館で大学入試英語および高校入試英語の特別冬期講習に出講するなど英語講師としての活動が皆無なわけではない。また、拓殖大学系列の高等学校での受験指導も担当している。〕。その後はおもにタレントや評論活動に重きをおいている。2001年、第19回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で比例区から出馬したが、落選〔「野党が政権をとったときは一切の税金支払いを拒否せよ」と主張していた。〕。 2009年1月、現職の長野力が再選を目指していた鹿児島県西之表市長(種子島)選挙に告示3日前になって無所属で立候補することを表明。佐藤は東京在住で、立候補に際して初めて種子島を訪問した。届出名を「金ピカ先生」として市選挙管理委員会に届出をおこない、市選管は「この通称(通名)が広く使用されていることを確認した」としてこれを受理。記者会見では「教育水準を日本一にしたい。役所で中高生に無料で授業をする」と公約し「金ピカ先生」の名前で選挙活動をおこなったが落選した〔供託金没収はまぬがれた〕。得票は長野が8,674票、佐藤が2,787票。投票率82.35%。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐藤忠志」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|