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佐藤 新平(さとう しんぺい)は岩手県気仙郡住田町出身の大日本帝国陸軍軍人、操縦士。 陸軍特別攻撃隊第79振武隊員である。 == 生涯 == 佐藤新平は佐藤亀治・トメの次男として生まれ、岩手県気仙郡住田町で育つ。兄の文吾は大日本鉱業に勤め、弟の新平は軍人だった父親の影響を受けて同じ軍隊の道に進む。 岩手の高等小学校・仙台飛行学校・熊谷飛行学校を経て教官となる。 (岩手の高等小学校時代には卒業するまで首席であったが、途中山形中学受験に失敗、東京神田の写真館に住み込み、その後仙台飛行養成所に応募し入所。熊谷飛行学校に転任する。) 特別攻撃隊に志願し、昭和20年3月27日に特攻命令が出る。新平たち第79振武隊は九九式高等練習機で出撃した。 命日は昭和20年4月16日。享年23歳。 遺された遺品は落下傘袋に詰められた軍服、留魂録、手紙、「佐藤新平」と書かれた紙切れ、頭髪、小指の爪であった。〔特攻基地 知覧始末記P97(第4章 少年兵の留魂録より)〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐藤新平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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