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佐藤昭子[さとう あきこ] 佐藤 昭子(さとう あきこ、旧名:佐藤 昭、さとう あき、1928年 - 2010年3月11日)は、かつて田中角栄の秘書を務めた人物。政経調査会主宰。 == 来歴・人物 == 新潟県柏崎市出身。1946年衆院選時に選挙活動をしていた田中と出会い、選挙活動を手伝う。新潟県立柏崎高等女学校を経て東京女子専門学校(現、東京家政大学)に進学するが中退する。離婚を経て、1952年に田中角栄の秘書となる。イトーピア平河町ビル内の田中の個人事務所にあって田中の政治団体・越山会の統括責任者などの要職を歴任する。「越山会の金庫番」・「越山会の女王」と称された〔47NEWS 田中元首相の“恋文”発見 「越山会の女王」に宛て 『共同通信』2011年10月7日〕。1979年に本名を「昭」から「昭子」に改名。一女あり(佐藤敦子。田中の子と云われているが、認知はされていない)。 1985年、田中が脳梗塞で倒れて政治生命を失うと、娘の田中眞紀子によって事務所は閉鎖され、早坂茂三とともに田中事務所を解雇された。原因は眞紀子と佐藤側の根深い対立関係にあったとされている。解雇後は自ら政治団体「政経調査会」を主宰し活動、著書を出版した。また旧田中派議員・関係者等の人脈に連なり、政治資金を提供するなど、政界になお一定の影響力を持っていた。 自由民主党木曜クラブ(田中派)への影響力も強大であった。かつて田中派の中堅・若手議員であった橋本龍太郎・小渕恵三・羽田孜・小沢一郎らにとっては政界における姉貴分であり、所属党派が分かれた後も揃って「ママ」と呼んで慕った。 2010年3月11日、東京都内の病院で心不全により亡くなった。81歳没〔47NEWS 越山会の女王、佐藤昭子さん死去 田中角栄氏の金庫番 『共同通信』2010年3月12日〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐藤昭子」の詳細全文を読む
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