翻訳と辞書
Words near each other
・ 佐藤正 (陸軍草創期)
・ 佐藤正一郎
・ 佐藤正久
・ 佐藤正之
・ 佐藤正俊
・ 佐藤正則
・ 佐藤正午
・ 佐藤正和
・ 佐藤正和 (アイスホッケー)
・ 佐藤正和 (アナウンサー)
佐藤正四郎
・ 佐藤正大
・ 佐藤正夫
・ 佐藤正孝
・ 佐藤正宏
・ 佐藤正尭
・ 佐藤正己
・ 佐藤正幸
・ 佐藤正広
・ 佐藤正彰


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

佐藤正四郎 : ウィキペディア日本語版
佐藤正四郎[さとう せいしろう]

佐藤 正四郎(さとう せいしろう、1886年明治19年)10月25日 - 1958年昭和33年)7月7日)は、日本海軍軍人二・二六事件において、東京に出動した海軍陸戦隊の指揮官を務めた海軍少将である。
== 人物・来歴 ==

===略歴===
新潟県出身。長岡中学から海軍兵学校に進む。病気のため留年し、37期生として卒業した。席次は179人中172番。同期生に井上成美草鹿任一小澤治三郎らがいる。
尉官時代は「三笠」、「日進」、「春風」、「明石」、「朝日」、「榛名」乗組。大尉進級後「生駒分隊長、「伊勢艤装員、「陸奥」副砲長、「大井」砲術長の艦船勤務の他、海軍砲術学校及び海軍水雷学校普通科学生を修了した。
少佐に昇進後、「長良」、「日向」及び「長門」の各砲術長、「榛名」及び「赤城」の各副長。この間、佐藤は砲術学校の教官を合計で8年務めて陸戦に通じ、また砲術においても権威者であった。1931年昭和6年)、大佐に昇進。「隠戸」特務艦長、第二艦隊第一艦隊、さらに連合艦隊の各司令部附(砲術指導官)を経て砲術学校教頭に就任。同職在任中に二・二六事件が発生し、陸戦隊指揮官として東京に出動した。
「広徳丸」艦長を経て、1937年昭和12年)12月1日、少将に昇進し、同年12月25日予備役編入となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐藤正四郎」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.