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佐藤泰然 : ウィキペディア日本語版
佐藤泰然[さとう たいぜん]
佐藤 泰然(さとう たいぜん、文化元年(1804年) - 明治5年4月10日1872年5月16日))は、日本医師。名は信圭(のぶかど)、は紅園、泰然は通称。佐藤藤佐の子。順天堂大学の基礎を作った人物として知られている。
== 生涯 ==
文化元年(1804年)、佐藤藤佐の子として、現在の神奈川県川崎市にて誕生。
天保元年(1830年)、蘭方医を志し、足立長雋高野長英に師事。天保6年(1835年)に長崎に留学し、天保9年(1838年)に江戸へ戻ると、両国薬研堀に「和田塾」を開いた(和田は母の姓)。
天保14年(1843年)、佐倉藩堀田正睦の招きで江戸から佐倉に移住。病院兼蘭医学塾「佐倉順天堂〔「順天」とは、中国古書にある「天の道に順」の意〕」を開設。また姓も父の佐藤を名乗る。
佐倉順天堂の治療は当時の最高水準を極めていた。高弟であった関寛斎の「順天堂外科実験」にその手術例が詳しい。安政年間院内に掲示された「療治定」によると卵巣水腫開腹術、割腹出胎術とある(いずれも麻酔薬を使わない手術)。嘉永4年(1851年)、日本初の「膀胱穿刺」手術に成功。他にも乳癌手術、種痘など蘭学の先進医療を行うとともに医学界を担う人材を育成し、順天堂は大阪緒方洪庵適塾とならぶ有名蘭学塾となった。
嘉永6年(1853年)、功績が認められて、正式に佐倉藩士に取り立てられ、町医から藩医となる。ところが安政6年(1859年)、病気を理由に家督養子佐藤尚中に譲り隠居。文久2年(1862年)には佐倉を離れ、横浜移住した。
明治5年(1872年)、東京下谷茅町(現・台東区池之端)で肺炎のため死去。享年69。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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