|
佐藤 祥万(さとう しょうま、1989年8月18日 - )は、栃木県日光市出身のプロ野球選手(投手)。 == 経歴 == === プロ入り前 === 小学3年生の時に少年野球の所野ブラックパンサーズで野球を始める。最初は外野手だったが、監督に出した年賀状にピッチャーをやりたいと書いて、以来ポジションは投手一筋〔雑誌「週刊ベースボール」(ベースボールマガジン社刊)2008年6月23日号63-65ページ『Let's Talk about Baseball 佐藤祥万』〕。日光東中では軟式野球部に所属し、4番打者兼投手として栃木県大会に出場。進学した文星芸大附高校では1年生の夏季県大会からベンチ入り。 2年次の夏季県大会では背番号10の2番手投手として出場。4回戦では宇都宮清陵を相手に5回参考記録ながら完全試合を達成。チームを甲子園出場に導いた。第88回全国高等学校野球選手権大会では初戦でダース・ローマシュ匡、上田剛史を擁する関西に逆転勝ち。しかし続く今治西との2回戦では3-12という大敗を喫する。 新チームでは結成当初からエースナンバーを堅守。2年連続での夏の甲子園となった第89回全国高等学校野球選手権大会では、調子が良い時には投球と同時に野球帽が頭部から落下することが話題になった。3回戦まで進出するも、2年連続で熊代聖人擁する今治西の前に敗れた。奇しくも当日は佐藤の誕生日であり、勝利で花を添えることはできなかった。しかし、打者の内角を鋭く突く切れのある速球と多彩な変化球、マウンド度胸の良さが一気に関係者の注目を集め、同年の全日本高校選抜の代表メンバーに選出される。 10月3日のドラフト会議(高校生ドラフト)で横浜ベイスターズから4巡目指名を受け、10月26日に契約金3500万円・年俸480万円の条件で正式に入団契約を交わした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐藤祥万」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|