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佐藤 衡(さとう こう)は、明治時代から昭和時代前期の政治家・教育者・漢学者。岩手県東磐井郡長坂村長。号は猊巌(猊嵒とも表記)。猊鼻渓の観光開発と景観保存に尽力した。 == 略歴 == * 文久2年(1862年)3月14日 仙台藩領磐井郡長坂村に佐藤謙治の長男として生まれる。 * 明治8年(1875年) 長坂小学校の助教となる。 * 明治13年(1880年) 岩手師範学校に入学。翌年に卒業し、教職に就く。 * 明治19年(1886年) 宮城県の鮎川小学校校長を拝命。その後、秋田県で教員・県職員を務める。 * 明治33年(1900年) 早稲田大学で法律を学ぶため上京するが、父の病死により帰郷して長坂郵便局長の職を継ぐ。 * 明治42年(1909年)4月 長坂村長となる(大正3年(1914年)7月まで)。 * 大正4年(1915年) 郡会議員となり、郡制廃止まで務める。 * 大正14年(1924年)猊鼻渓が史蹟名勝天然紀念物保存法第一条により、国の名勝に指定される。 * 昭和2年(1927年) 毎日新聞社主催の日本百景に猊鼻渓入選。 * 昭和12年(1937年)7月 政府機関である東北振興調査会に参画し、東北史蹟名勝宣揚会を結成。同会の役員に就任する〔河西英通『続・東北 異境と原境のあいだ』(中央公論新社、2007年)169~171頁〕。 * 昭和16年(1941年)7月10日 東京市目黒区の娘宅にて死去。享年80。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐藤衡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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