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佐藤貴信
佐藤 貴信(さとう たかのぶ、1996年8月5日 - )は、兵庫県芦屋市出身で、貴乃花部屋所属の現役大相撲力士。本名同じ。身長177cm、体重165kg、血液型はO型〔ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年5月号(夏場所展望号)別冊付録 平成27年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑 32頁〕。得意手は突き、押し。最高位は西幕下7枚目(2015年11月場所)。 == 来歴 == 兵庫県芦屋市出身で、本名の「貴信」は当時現役の横綱だった貴乃花から1字を取ったものである。〔ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2014年12月号(九州場所展望号) 69頁〕佐藤少年は幼少時代から仁川学院小学校3年次まで極真空手を習っており、全国大会で準優勝の実績を残していたが、3年生からは相撲に転向して地元の道場(関西奄美相撲連盟)に通い始めた。〔ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2014年10月号(秋場所総決算号) 108頁〕小学校卒業後は相撲の強豪校のひとつである報徳学園中学校に進学し、3年次に全国中学生相撲選手権大会に優勝し中学生横綱のタイトルを獲得するなどの活躍をした。高校は名門埼玉栄高校普通科アスリートコースに特待生留学し、山田道紀監督のもと関東高等学校相撲選手権大会の無差別級で2連覇。全日本ジュニア相撲選手権大会の無差別級2連覇。他全、高校全国大会7タイトル獲得。3年次に台湾で行われた世界ジュニア相撲選手権大会の無差別級で優勝するなど多くの大会で抜群の成績を残した。 高校卒業後の進路はかねてより角界入りを希望しており、当初は2014年10月開催の国体終了後に入門する予定であった佐藤だが、「プロへの気持ちが日に日に高まった」〔という理由で国体を待たずに、同年9月場所で貴乃花部屋に入門し、本名を四股名にして初土俵を踏んだ。高校生で角界入りした力士の前例はあったが〔1994年11月場所で入門した栃東大裕(当時、志賀)など〕、9月場所での入門は異例の早さであり、入門以降は高校に通い卒業を目指して勉学に励む傍らで本場所の土俵に上がり番付を上げることとなった。しかし、2016年3月の報道では中退したとされているが卒業している。 初めて番付に名前が載った同年11月場所は7連勝で序ノ口優勝。続く2015年1月場所は序二段優勝と順調に白星を重ねた。〔ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年2月号(初場所総決算号) 77頁〕三段目に上がった3月場所の3日目で入門後初黒星を喫して連勝は15で止まったが〔ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年4月号(春場所総決算号) 94頁〕、続く5月場所で幕下に昇進。初の幕下で土付かずの6連勝と優勝にも大きく近づいたが、最後の相撲で髙木(現・髙立)に敗れて幕下優勝はならなかった。〔ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年7月号(名古屋場所展望号) 79頁〕9月場所でも再び土付かずの6連勝としたが、星違いで幕内経験者の東龍に敗れて7戦全勝とはならなかった。佐藤の敗北で幕下に全勝がいなくなったため6勝1敗の8人でトーナメント形式の優勝決定戦が行われたが、決勝戦で千代翔馬に敗れて再び幕下優勝を逃した。〔ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年11月場所(九州場所展望号) 79頁〕その後は西幕下7枚目まで上がった11月場所で3連勝のあと4連敗で初めての負け越しを経験。一旦番付を下げたが、東幕下9枚目で迎えた2016年3月場所ではみたび土付かずの6連勝。13日目の7番相撲は幕内経験者の大岩戸と勝てば幕下優勝という取組になったが、叩き込みで勝利し、3度目にしてようやく7戦全勝で幕下優勝を果たした。場所後の番付編成会議で5月場所での新十両昇進が決定した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐藤貴信」の詳細全文を読む
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