|
佐野 仙好(さの のりよし、1951年8月27日 - )は、群馬県高崎市出身の元プロ野球選手(外野手)。現在は、阪神タイガースの統括スカウトの役を担っている〔 小豆畑(西濃運輸)阪神入団 4位指名「レギュラー狙う」 岐阜新聞 2012年11月20日11:25配信 2013年2月6日閲覧〕。 愛称は名前を音読みした「センコー」。 == 来歴・人物 == 前橋工業高校では、2年の時に三塁手として夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で智辯学園の上田容三投手に完封を喫する。3年の夏は北関東大会準決勝に進出するが、宇都宮学園に敗れる。高校同期に柚木秀夫投手、片貝義明捕手がいた。 卒業後は中央大学へ進学、東都大学リーグでは3度優勝。同期入学の藤波行雄と共に1年生の春季リーグからレギュラーとして出場し、在学中リーグ全試合出場を果たす。秋季リーグでは、リーグ4人目の1年生での首位打者になった。の全日本大学野球選手権大会ではエース田村政雄を擁し、決勝で愛知学院大を降し優勝を飾る。同年の第2回日米大学野球選手権大会日本代表に選出された。リーグ通算99試合出場、350打数99安打、打率.283、7本塁打、39打点。ベストナイン2回。1973年のドラフト1位で阪神タイガースに入団。 プロ入り当初は同期入団の掛布雅之と三塁手のレギュラーを争ったが、佐野はレギュラー争いに敗れ、から外野手に転向した。このライバル関係は佐野の現役活動の基本トーンとなる。 後述する試合中のフェンス激突事故で戦線離脱を余儀なくされたが、復帰後は左翼手のレギュラーに定着し勝負強い打撃を見せる。には、藤田平の故障もあって一塁手に回り、初の規定打席(11位、打率.300)に達する。翌年から外野手に戻り、には制定初年度の最多勝利打点(15)のタイトルを獲得した。のチームの優勝の際には6番・レフトとして活躍し、5月20日の対読売ジャイアンツ戦では5点ビハインドの場面で槙原寛己から代打満塁本塁打を放ち、逆転勝利に貢献した。そして、10月16日の対ヤクルトスワローズ戦では優勝を決定付ける同点犠飛を放った。 佐野は、の引退に際して記者に野球生活の総括を求められると掛布の名を挙げ「あいつのおかげでここまでやれた。あいつに負けたくないという気持ちがあったから必死になれた。あいつのおかげ」と言うのに終始している程である。 に引退した後は育成、守備・走塁、打撃コーチ等を歴任し、平塚克洋・星野修を育てた。1998年からは編成部スカウト(関東担当)として吉野誠、狩野恵輔、藤田太陽、中村泰広らを担当。広い人脈を球団内外に持ち定評がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐野仙好」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|