|
佐野 洋(さの よう、1928年5月22日 - 2013年4月27日)は、日本の推理作家、評論家。本名は丸山一郎。 == 来歴 == 東京市大森(現・東京都大田区大森)出身。旧制一高に首席合格、東京大学文学部心理学科卒業。1953年、読売新聞社に入社。当初兼業作家だったため、ペンネームは「社の用」にかけて付けた。1959年に新聞社を退社。最も好きな推理作家として英国のアンドリュー・ガーヴの名を挙げている。黒岩重吾に「血や汗を流していない小説」と批判され、「むしろ賛辞と受け止めたい」と返したほど知的遊戯としてのミステリを貫いているが、一方でシリーズ探偵には否定的立場を取り、エキセントリックな犯罪や大掛かりなトリックも排除するなど、ほどのよいリアリズム、中庸さが持ち味でもある。雑誌発表短編を直接文庫本にまとめるケースも多い。短編を一千編以上書き、その多くが文庫化されたが、消費税導入で価格の改定が起きた際に、その多くが再版を止められた。出版社にしてみれば、カバー部分の書き換えを行うよりも、新しい作家のものを出したほうがいいと判断したのだろう、と佐野は回想している〔最相葉月 『星新一〈下〉―一〇〇一話をつくった人』 新潮文庫 ISBN 978-4101482262、365p。それを聞いた星新一は、「ぼくなんてそんな影響ないよ」と答えた。実際、星の文庫本は売れていた。同書369pには、昭和63年2月15日に新潮文庫の総発行部数が2千万部を突破し、松本清張・に次ぐ総発行部数である旨の記述がある。〕。 論客であると同時に作家同士の交友には積極的なタイプで(上記の黒岩とも私生活上は親しい友人であった)、多岐川恭、河野典生、星新一、水上勉、結城昌治らとともに若手作家の親睦団体「他殺クラブ」を結成、のち笹沢左保、大藪春彦、都筑道夫、生島治郎、戸川昌子らも加えて70年ごろまで活動した。 1973年より「小説推理」誌に「推理日記」を連載。ベテランの実作者による推理小説時評として、さまざまな反響や議論も呼びつつ執筆は39年に及んだ。2012年7月号(5月発売)掲載分をもって連載終了とすることが8月下旬にいたって発表された(8月26日読売新聞電子版)。 実弟の丸山昇は中国文学者で東京大学名誉教授。兄弟ともに日本共産党の支持者として知られる。 「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人を務めていた〔マスコミ九条の会(よびかけ人はだれですか) 〕。 2013年4月27日、肺炎のため川崎市の病院で死去〔佐野洋氏死去 推理小説界の重鎮 産経新聞2013年4月28日閲覧〕。。 次女の夫は放送作家の柊達雄(ひいらぎ たつお、1948年 - )。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐野洋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|