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余地ダム(よじダム)は、長野県南佐久郡佐久穂町(旧佐久町)、信濃川水系余地川に建設されたダム。高さ42メートルの重力式コンクリートダムで、洪水調節・不特定利水・上水道用水の確保を目的とした、長野県営の多目的ダムである。 ==歴史== 長野県東部、群馬県境より流れ出る抜井川と余地川は並行して西へと流下し、抜井川が余地川ほか多くの河川を合流させ千曲川(長野県内における信濃川の呼称)に注いでいる。 長野県は1982年(昭和57年)、抜井川本線上に古谷(こや)ダムを完成させた。流域は降雨量が少なく水不足に悩まされていたほか、出水時には氾濫し沿岸に大きな被害をもたらしていた。古谷ダムは抜井川の治水ならびに主としてかんがい用水のための不特定用水補給を目的とした治水ダム建設事業であった。 余地川も抜井川と同じく水害や水不足に悩まされていた河川であったが、余地川は古谷ダムより下流にて抜井川へと合流する河川であるため古谷ダムによる治水効果を受けられずにいた。長野県は余地川の開発事業を検討。沿岸部が優良な農地または宅地開発が進んでいたことから河道幅の拡大を断念し、ダム建設を推進した。 1988年(昭和63年)から1989年(平成元年)にかけて予備調査を実施。建設事業は1990年(平成2年)に採択される。1993年(平成5年)4月、ダム設計基本会議においてダム軸やダム型式などについて議論し、1996年(平成8年)9月にダム本体設計がまとめられた。同年より1999年(平成11年)にかけて工事用道路の整備が行われ、2000年(平成12年)にダム本体工事に着手。2003年(平成15年)10月1日より試験湛水を開始し、2004年(平成16年)3月10日にしゅん工した。同年9月には完成式が催されている。 余地ダム建設の最中である2001年(平成13年)、当時の長野県知事・田中康夫は脱ダム宣言を表明。建設が計画されていた長野県営ダムの多くが中止となった。脱ダム宣言後も、ダム本体工事が着手済みとなっていた事業については続行されており、余地ダムは史上最後に完成した長野県営ダムとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「余地ダム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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