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侯(こう)は、封建制において特定の領域を支配する封建領主や、その爵位の一種をあらわす漢語である。日本の人物に対しては、大名、藩主のことを指して使われた。 漢字の成り立ちは、もともと旁が幕に矢が刺さるさまを示した文字で矢の的を意味した文字で、侯の字はそれに「人」の字を加えることで、弓矢を持って王の周りを固める近衛の兵士をあらわしたものである。 転じて、侯は王に近侍する重臣や、王の支配する国の周囲を固める地方支配者に対して授けられる称号となった。しかし、後述するように東アジア以外の地域の王侯貴族の称号として侯を使う場合には、必ずしも王の臣下ではない者の称号の訳語として侯が使われることもある。 == 東アジアの侯 == 古代中国の理想として理念化された周の制度では、天下の最高支配者である天子たる周王から封土を与えられて、その内側において天子にかわって「君(君主)」として振る舞うことが許された世襲的な首長が侯であり、全ての侯を総称して諸侯と呼ぶ。 日本語における音のよく似た語に公があり、やはり古代中国の各国の首長を指す称号即ち封号として使われ、「公侯」というようにしばしば併称される。このためこのふたつは混同されることがあるが、公はもともと国家のことを指し、国家を体現する支配者のことをも意味するようになった語である。すなわち、公は国の内側から君をみた称号であり、これに対して、侯は天下の全体を支配する天子の側から各国の君をみた称号であるという違いがある。 中国において、王が侯の称号を爵位として授けたものが侯爵である。周制の理想像においては、侯爵は公爵に次ぐ五等爵の第2位で、衛などの周王室の親族出身の国、斉などの周の功臣を祖とする国、陳などの旧王朝の末裔を称する国の君の爵位とされた。 前漢では、郡国制のもとで国の支配権を許された王族の諸侯王は「王」や「公」を称号として与えられており、伝統的な五等爵は使われなくなった。しかしかわって戦国時代の秦の軍事制度に基づいた二十等の爵位が設けられるが、その最上位が徹侯(列侯)、その次位が関内侯と呼ばれていた。 列侯は国の統治権は与えられないが食封として戸から収められる税を受け取る権利を与えられた。これに対して関内侯は侯といっても原則として封も与えられず、禄(年金)が支給されるのみである。その後、西晋において侯を含む五等の爵位が復活し、様々な変遷を経つつ20世紀初頭の清の滅亡に至るまで、功臣に与えられる爵位として侯が存在した。 また、普通名詞として諸侯の地位にある者を意味する侯も広く使われ、例えば「王侯貴族」とか「侯王将相」というように侯と王とを併称する用法がみられた。日本の江戸時代の大名、藩主を諸侯と言ったり封侯、藩侯と言ったりするのは、江戸時代の徳川将軍家を頂点とする封建制を古代中国の封建制になぞらえたものである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「侯」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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