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侯子光(こう しこう、? - 337年)は、五胡十六国時代前期に小秦国政権を樹立した人物。後趙の安定(現在の甘肅省涇川県)に生まれた。20歳前後で儀表堂堂となり、佛太子を自称した。また大秦国になぞらえ自らを小秦国の国王と称し、名を李子楊と改めた。 337年には杜南山(現在の終南山)に数千人の群集を終結し大黄帝に即位、龍興と改元している。 しかし、間もなく侯子光は後趙の石広の攻撃を受け斬首された。『晋書』の記載によれば、斬首されても出血が無く、死後十数日が経っても生きているような様相であったと伝えられる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「侯子光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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