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露館播遷(ろかんはせん、1896年2月11日 - 1897年2月20日)とは、李氏朝鮮の第26代王・高宗がロシア公使館に移り朝鮮王朝の執政をとったことを言う。韓国でも古くは日本語での表記と同じように「露館播遷」と呼ばれたが、最近では俄館播遷〔にわかに館を移る(播・遷)、あるいはにわかに館を移り(遷)政務を行う(播)の意。また播遷は王などが「遠くさすらうこと」〕と呼ばれることが多い。俄館露遷〔李徳周「初期韓国協会の民族教会的性格」常石希望(訳)(言語と文化No.17 愛知大学)P.143〕との記述もある。 高宗がロシア公使館で政務を執り行った結果、ロシアは年表に示す利権を獲得し、他の欧米列強も同等の利権を獲得することになった。 また、これは国としての自主性を放棄するのに等しい行為であり、後に日露戦争時に中立を宣言したが日露両国から無視されるような結果となった。 == 関連年表 == === 1895年 === * 10月8日 閔妃殺害事件(乙未事変) * 11月28日 春生門事件 *: 露米両公館に潜伏していた李範晋・李学均・李允用・李完用、侍衛隊教官アメリカ人ダイ、アメリカ人宣教師等は高宗を奪い 金弘集総理らを殺害しようとしたカウンター・クーデターを計画。親衛隊大隊長の李軫鎬の内通により、失敗に終わりロシアの公使館やアメリカの公使館に逃げ込む〔 アジア歴史資料センター 公文雑纂・明治二十九年・第九巻・外務省一・外務省一 朝鮮京城事変ノ顛末ニ関シ小村弁理公使ヨリ報告ノ件 レファレンスコード A04010020500 5画像目/23画像〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「露館播遷」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Korea royal refuge at the Russian legation 」があります。 スポンサード リンク
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