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義姫(よしひめ、天文17年(1548年、1547年とも) - 元和9年7月17日(1623年8月13日))は、出羽国の戦国大名最上義守の娘。最上義光の2歳下の妹にあたる。伊達輝宗の正室で、伊達政宗の母。通称は米沢城の東館に住んだことからお東の方や最上御前とも呼ばれた。出家後は保春院。 == 生涯 == 出羽国山形城にて最上義守の娘として生まれる。義姫は兄の義光とは仲が良く、両者の間で遣り取りした手紙が多数残されている。 永禄7年(1564年)頃、最上氏と対立していた伊達輝宗に嫁ぎ、永禄10年8月3日(1567年9月5日)、19歳で政宗を産み、その後小次郎、二女(ともに夭折)を産む。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「義姫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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