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保科正丕[ほしな まさもと]
保科 正丕(ほしな まさもと)は、上総飯野藩の第9代藩主。 == 経歴 == 享和元年(1801年)6月13日、第8代藩主・保科正徳の長男として江戸で生まれる。生来から病弱だったため、はじめ正徳は幕府に正丕の出生届を出さなかったが、享和3年(1803年)に出生届を出して世子として認められた。文化14年(1817年)3月24日、父が隠居したため家督を継ぎ、12月に従五位下、弾正忠に叙位・任官する。日光祭礼奉行や大坂加番など、諸役を歴任した。また、外国船が日本近海にたびたび出没するようになったため、弘化2年(1845年)に外国船見張番所を設置している。弘化3年(1846年)にアメリカのジェームズ・ビドルが浦賀に来航してきたときは、浦賀の警備を務めた。 弘化5年(1848年)2月、2度目の大坂加番に任じられて大坂に赴いたが、間もなく発病して、嘉永元年(1848年)3月17日に死去した。跡を三男の正益が継いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「保科正丕」の詳細全文を読む
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