|
保科 正率(ほしな まさのり)は、上総飯野藩の第7代藩主。 宝暦2年(1752年)2月11日、第6代藩主・保科正富の長男として江戸で生まれる。明和7年(1770年)7月5日、父が隠居したため、家督を継いだ。嗚12月には従五位下、弾正忠に叙位・任官する。寛政2年(1789年)4月、越前守に遷任する。正室は秋月藩主黒田長邦の娘、於艶。 寛政3年(1791年)10月、大坂定番に任じられ、享和元年(1801年)5月まで務めている。そのほかにも大坂加番を3度、日光祭礼奉行を2度ほど歴任している。享和2年(1802年)6月3日、家督を長男・正徳に譲って隠居し、以後は南御殿で余生を送った。 文化12年(1815年)10月4日に死去した。享年64。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「保科正率」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|