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(女性形: )は、ラテン語の称号であり、日本語には『信仰の擁護者』と訳される。英語には「」、フランス語には「」と訳される。この言い回しは、16世紀初頭以来、多くの君主の正式な称号の一部として使われている。 ==イギリスでの使用== ===歴史=== 「」という英語表現は、1521年10月11日にローマ教皇レオ10世によってイングランド王ヘンリー8世へ付与されて以来、イングランドと後のイギリスの君主の補助的な称号の一つである。ヘンリー8世の妻のキャサリン・オブ・アラゴンもまた自己の権利によって信仰の擁護者であった〔Antonia Fraser, ''The Wives of Henry VIII'', page 95〕。この称号は婚姻の秘跡性と教皇の優位性を擁護したヘンリーの著作『七つの秘跡の擁護』の功績を認めて贈られた。これは「Henrician Affirmation(ヘンリーの確認)」とも呼ばれ、宗教改革の初期段階、特にマルティン・ルターの考えに対する重要な反論と見られている。 ローマと決別し、自身をイングランド国教会の首長とする1530年のヘンリーの決定後、この称号は教皇パウルス3世によって無効とされ、ヘンリーは破門された。しかし、1544年、イングランド議会はヘンリー8世とその後継者に「信仰の擁護者」の称号(現在は聖公会信仰の擁護者)を贈り、彼らは(カトリックのメアリー1世を除き)イングランド国教会の首長であり続けた(正式には首座主教としてのカンタベリー大主教の上位)。 スコットランド王ジェームズ5世は1537年1月19日に教皇パウルス3世によって信仰の擁護者の称号を与えられた。これは、スコットランド王が彼の甥であるヘンリー8世が辿った道を取らないようにとのローマ教皇の願いを象徴していた〔Cameron, Jamie, ''James V'', Tuckwell (1998), 288.〕〔Hay, Denys, ed., ''Letters of James V'', HMSO (1954), 328.〕。ジェームズ5世の父のジェームズ4世は1507年に教皇ユリウス2世によって「キリスト教信仰の守護者と擁護者」の称号を与えられていた〔Macdougall, Norman, ''James IV'', Tuckwell (1997); pp. 22.〕。しかし、どちらの称号もスコットランドの君主の正式な称号の一部とはならなかった。 プロテクトレート期(1653年-1659年)の間、イングランド共和国護国卿のオリバー・クロムウェルとリチャード・クロムウェルは「信仰の擁護者」の称号を身に付けなかった。しかし、王政復古後にこの称号が再び採用され現在に至っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「信仰の擁護者」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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