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信夫淳平[しのぶ じゅんぺい]
信夫 淳平(しのぶ じゅんぺい、明治4年9月1日(1871年10月14日) - 昭和37年(1962年)11月1日)は、日本の外交官、国際法学者。法学博士。早稲田大学教授、学士院会員、中華民国顧問等を歴任。1943年学士院恩賜賞受賞、従三位勲一等瑞宝章〔『日本近現代人物履歴事典』(東京大学出版会、2002年)〕。 父は信夫恕軒(鳥取士族〔猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)シ・九〇頁〕、漢学者、元東大講師)。信夫韓一郎(新聞記者、元朝日新聞専務)は長男、信夫清三郎(政治学者、名古屋大名誉教授、元日本政治学会理事長)は三男。 == 経歴 ==
=== 生い立ち === 鳥取県生まれ〔デジタル版 日本人名大辞典+Plus 〕。父・恕軒には男の子が三人あり、寛一郎、淳平、敬造といった〔。五歳か六歳のときに生母・いとが恕軒と別れた〔『新聞人 信夫韓一郎』9頁〕。どういう母親だったかの記憶はない〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「信夫淳平」の詳細全文を読む
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